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電気刺激が明らかにした、線虫も「感情」を持つ可能性


研究成果の概要

365体育投注大学院理学研究科のティー リンフェイ研究員、木村幸太郎教授、米国ノースイースタン大学のヤング ジャレッド教授らの国際共同研究グループは、線虫を電気で刺激すると速い速度で走りだすこと、またこの現象が基本的な「感情」によって引き起こされている可能性を明らかにしました。線虫では遺伝子や細胞活動の解析が容易であることから、基本的な感情がどのような仕組みによって脳で生ずるのかを理解することに大きく貢献することが期待できます。この論文は、国際科学雑誌Geneticsに2023年8月18日にオンラインで発表されました。

背景

脳の研究は現代の生命科学研究の中でも最も重要な分野の一つであり、先進各国で国家プロジェクトとしての脳研究が進められています。脳研究が目指す最終的な目標はもちろん我々自身の脳の理解であり、人間やサルやマウスを対象としてさまざまな研究が行われています。一方これらと平行して、単純な動物を対象として脳はどのようにはたらくのかという基本的な仕組みを理解することも重要です。例えばこれまでに、脳を構成する神経細胞の活動はイカ、また記憶の仕組みはアメフラシという単純な軟体動物などを研究対象として大きな理解が得られてきました。

脳のはたらきの中でもまだ研究が進んでいないのは「感情」です。実験対象となる動物に「よろこび」や「かなしみ」が存在するようには見えないため、動物を使って感情の研究をすることは困難であろうと長年考えられてきました。しかし2010年代から、「感情には持続性がある」、「感情には正や負の値がある」といった特徴に注目することによって、ザリガニや昆虫にも感情のような脳のはたらきがあるだろうと論文で報告されるようになってきました。例えば、敵に襲われるような危険な状況(負の値)を短時間でも動物が経験したら、しばらくの間その動物は安全な所でじっとしていて(持続性)、空腹を感じずにおいしそうな食べ物の匂いなどを無視する、といった脳のはたらきの変化が起こることは理にかなっています。このような脳のはたらきを我々は「感情」と呼んでいるのかもしれません。

したがって、単純な動物(軟体動物や昆虫などを含む広い意味での動物です)を研究対象とすることで、最も基本的な「感情の仕組み」を理解することができる可能性があります。さらに言えば、このような基本的な仕組みは生命活動の設計図である「遺伝子」のはたらきによってある程度決められている可能性も高いです。しかし、基本的な「感情の仕組み」の詳細はほとんど明らかになっていません。

研究の成果

研究チームは、線虫(注1)が基本的な「感情」を持つと考えられることを、世界で初めて明らかにしました。研究チームはまず、交流の電気刺激を与えると、線虫は見たことも無いような速さで移動し始める(走り始める)ことを発見しました。興味深いことに、この「走る」という反応は電気刺激を止めても1-2分継続することも発見しました。線虫に限らず多くの動物において、刺激を止めるとその刺激に対する反応はすぐに止まることがほとんどです。(そうでないと、見た映像や聞いた音がずっと残ってしまうことになります。)したがって、「刺激が止まっても走り続ける」という反応はとても珍しいことでした。

さらに、線虫の多くの行動はエサである大腸菌によって大きく影響され、例えば「大腸菌がある所では移動は遅く、大腸菌が無い所では移動が速い」ということが知られていました。しかし、電気刺激によって走り続けるという現象は、大腸菌があってもなくてもほとんど影響されませんでした。この結果は、「エサである大腸菌の有り無しは通常はとても重要だが、電気ショックという生存にかかわる危険はエサの有無よりももっと重要である」と解釈することができます。

言い換えれば、電気ショックという危険な刺激を感じたらその場所から逃れることが生存のために最も優先すべきことであり、そのためには日頃は重要な意味を持つ「エサ」も無視するというように脳のはたらきが持続的に変化しているという可能性が示されました。すなわち「線虫が短時間の電気刺激によって走り続ける」という現象は、基本的な「感情」を反映していると考えられました。

解析結果の図

さらに線虫の利点である遺伝子の解析を行った所、我々のホルモンに相当する「神経ペプチド」が作れない変異体では、正常な線虫よりも電気刺激によって走り続ける時間がより伸びていることが明らかになりました。この結果は、「危険に対する継続的な状態は、適切なタイミングで終わるように調節されている」ということが明らかになりました。確かに私たちが危険を経験してドキドキを感じたとしても、それがずっと続いてしまったら生活に支障が出ることになります。すなわち、刺激によって私たちが「ドキドキした」「嬉しい」「悲しい」などを感じてもその感情が、時間が経つと消えていくのは自然なことでは無く、遺伝子による積極的な仕組みによって制御されている可能性が示されました。

研究のポイント

  • 交流の電気で刺激すると、刺激を止めても線虫が走り続けるという現象を発見した。
  • この現象は、原始的な「感情」を反映している可能性が明らかになった。
  • 刺激に対して線虫の「感情」が持続する長さは、遺伝子の仕組みによって決まっていることが明らかになった。

研究の意義と今後の展開や社会的意義など

脳のはたらきに関する研究は、知覚(どのように刺激を感ずるか)、記憶(刺激をどのように覚えるか)、意思決定(刺激に対してどのように反応を選ぶか)といったテーマに対して研究が進められてきました。「感情」はこれらに続く4つめの研究テーマになりつつありますが、「なにが動物の『感情』なのか」という定義も始まったばかりで、広範囲の研究は進められていません。

研究チームは、これまでにも線虫を研究対象として、知覚?記憶?意思決定の基本的な生物学的メカニズムを明らかにしてきましたが、今回は線虫にも「感情」が存在する可能性を世界で初めて明らかにしました。今回の研究で示されたように、線虫を用いることで基本的な「感情」に関わる遺伝子の仕組みをより詳しく明らかにできると考えられます。線虫ではたらいている遺伝子の多くは、類似した遺伝子が人間などでもはたらいていることが知られているので、線虫を研究対象とすることで「感情にはどのような遺伝子が関わっているのか」という研究に大きな手掛かりが得られると期待できます。

具体的には、例えば鬱病などの気分障害は、人が経験した刺激を上手く処理できずに負の感情が過剰に強く長く保持されてしまっている状態であると解釈することができます。これまでにも抗うつ剤は開発されていますが、感情に関わる遺伝子が線虫の研究から新たに発見されれば、その遺伝子が新たな抗うつ剤の標的になる可能性なども考えられます。

用語解説

注1. 線虫 C. エレガンスは、成虫の長さがわずか約1mmですが、脳?筋肉?消化器?生殖器など様々な組織を持ちます。また、体の設計図である遺伝子はその大部分がヒトの遺伝子とよく似ているにも関わらず、寿命が1-2週間と短く、またさまざまな実験が容易であることから、発生?老化?神経活動などに関わる基本的な仕組みを研究するための実験動物として世界中で広く使われています。また線虫には進化的に最も単純な部類の「脳」が存在することが知られており、知覚?記憶などに関する研究が行われてきました。木村教授の研究グループは、線虫も基本的な「意思決定」を行うことを世界で初めて明らかにしています(DOI番号:https://doi.org/10.7554/eLife.21629)。

研究助成

本研究は、科学研究費 新学術領域研究「生物移動情報学」(木村幸太郎、JP16H06545)、基盤研究(S)(木村幸太郎、20H05700)、基盤研究(B)(木村幸太郎、21H02533)、挑戦的研究(萌芽)(木村幸太郎、21K19274)国際共同研究強化(B)(木村幸太郎、22KK0100)、365体育投注特別研究奨励費(木村幸太郎、48、1912011、1921102、2121101)、自然科学研究機構 分野融合型共同研究事業(木村幸太郎、01112002)、ExCELLS課題研究(シーズ発掘)(木村幸太郎、22EXC206、23EXC204)豊秋財団研究費助成(木村幸太郎)、理化学研究所革新知能統合研究センター共同研究(木村幸太郎)の支援を受けて行われました。また、筆頭著者のティー?リンフェイは、2018-2021年に文部科学省?大使館推薦による国費留学生の支援を受けました。

論文タイトル

"Electric shock causes a fleeing-like persistent behavioral response in the nematode Caenorhabditis elegans"
(電気ショックは、線虫C. エレガンスに逃避のような持続的行動を引き起こす)

著者

Ling Fei Tee, Jared J. Young, Ryoga Suzuki, Keisuke Maruyama, Sota Kimura, Yuto Endo, Koutarou D. Kimura

【所属】
ティー?リンフェイ (365体育投注大学院理学研究科、研究員)
ジャレッド?ヤング(米国ノースイースタン大学ミルズ校、教授)
鈴木涼月(365体育投注大学院理学研究科、大学院生)
丸山敬祐(365体育投注大学院理学研究科、大学院生)
木村宗汰(365体育投注大学院理学研究科、大学院生)
遠藤雄人(365体育投注大学院理学研究科、特別研究学生;大阪大学大学院理学研究科、大学院生)
木村幸太郎(365体育投注大学院理学研究科、教授;大阪大学大学院理学研究科、招へい教授)

掲載学術誌

学術誌名:Genetics
DOI番号:https://doi.org/10.1093/genetics/iyad148