学部?研究科?附属病院の歴史
学部?研究科?附属病院の歴史
旧校舎時代の大学名プレート
(2001年4月撮影)
建築中の新校舎研究棟
(2008年11月撮影)
名市大へ1966年に入学し、卒研は福田英臣教授の薬品作用学教室でした。70年に修士に進み、1年で退学し助手になりました。77年に福田先生が東京大学薬学部へ異動され、私も助手で移りました。その後助教授にあげていただき、93年に365体育投注附属病院分院の薬剤部長(365体育投注助教授)となり、東京理科大学薬学部教授を経て、2000年に23年ぶりに名市大へ戻りました。
1年生での教養講義は、滝子(山の畑)の八高?名大教養部が使っていた木造校舎で行われました。多くの鳩が住み着いており、授業中に天井裏を走り回ったり、教室内を飛び回り授業が妨害されたこともありました。2年前期までの一部の生物、物理、化学の実習と講義は、田辺通の名古屋女子医専の校舎(365体育投注が使用していた)で行われました。実習は午後にあり、滝子で講義を受けてから、お昼休みに田辺通へ移動しました。田辺通では、私の入学の66年3月に薬学部の新校舎(研究棟、講義室、実習室)が完成し、講義?実習が始まっていましたが、私達の教養の実習は古い校舎で行われました。2年後期からの専門講義と実習は薬学部の新校舎で行われました。70年2月に図書館分館の建物が完成し、71年3月に南研究棟と動物舎が完成します。
2000年に名市大に帰ったときの、当初の研究室名は薬物治療学教室でしたが、02年の大学院部局化のさいに、中枢神経機能薬理学分野としました。名市大へ戻った時には、研究棟、講義室、実習室はかなり古ぼけておりましたが、薬友会館と先端薬学研究?共同研究利用施設棟(共研)ができておりました。特に共研の中の動物飼育の施設などの設備は他大学と比べてすばらしいものでありました。しかし、共研はバブル期に作られたもので、エネルギー効率が悪く、動物施設の設備は私が退職したころにはかなり老朽化していました。一方、薬学教育は04年5月に学校教育法が改正され、06年4月の入学生から、薬剤師を養成するための学科の修業年限は4年から6年に延長されました。6年制では、新たに学内でCBT、OSCE、模擬薬局実習を実施する場所が必要になり、薬局と病院での長期の実務実習が必要になりました。学外での実習は困難が予想されました。08年に、東海地区11大学の薬?医?看の連携の取り組み(名市大が主担当校)が文科省の戦略的大学連携支援事業に採択され、私は東海臨床薬学教育連携センター長になりました。遅れていた薬学部の改築が動き出したのは、幸運でしたが、文科省に6年制の届け出をしている時期と一致したことにより、CBTやOSCEも可能で模擬薬局も備えた実習棟が08年11月に完成しています。その後、研究棟が09年8月に完成し、講義棟、図書?厚生棟が12年11月に完成しました。
私は13年3月に名市大を定年退職し、武蔵野大学薬学部臨床薬剤学研究室(臨床薬学センター長兼務)で研究を続けることができました。
名市大での最後の7年と武蔵野大の5年間において、抗インフルエンザ薬タミフルの強い体温低下作用についても研究していました。この研究は名市大薬学部出身の先生方との共同研究のおかげで続けることができました。長い年月がかかりましたが偶然の発見や幸運があり、抗インフルエンザ作用のないタミフル未変化体が、交感神経節のニコチン性アセチルコリン受容体のイオンチャネルを遮断することにより、機序は明確ではないですが、さらに脳内ドパミンD2受容体を刺激することにより、マウスの正常体温を下げることが示されました。タミフル未変化体の化学構造はエステル型の局所麻酔薬と非常に似ています。機序は明確ではないですが、エステル型局所麻酔薬はD2受容体を刺激することが知られています。D2受容体刺激は中枢興奮を生じるので、タミフル未変化体のD2刺激作用が興奮性の異常行動の誘因となる可能性があります。詳細は、総説「オセルタミビルの抗インフルエンザ作用によらない体温低下作用の機序研究を中心として」をご覧ください(YAKUGAKU ZASSHI、2019年139巻、p.767-781)。
最後になりますが、同期の方々、先輩方、ご指導いただきました先生方、大学関係の方々にお礼を申し上げます。
旧校舎時代の大学名プレート
(2001年4月撮影)
建築中の新校舎研究棟
(2008年11月撮影)
365体育投注名誉教授
小野 秀樹(昭和45年卒)